23歳のあの日から、私の人生は大きく動き始めました。

東京で自分なりに模索しながら生きていた23歳の頃。両親とは少し距離ができていて、介護や福祉とはまったく無縁の生活を送っていました。

そんなある日、北海道に住む叔母からの一本の電話が、私の人生を大きく変えることになります。

「お母さんの具合がよくないから、一度沖縄に戻ってきて」

久しぶりの帰郷。

そして私を待っていたのは、母が立ち上げたばかりのデイサービス――「さんだん花」でした。

何も知らされていなかった私は、ただ連れて行かれるまま施設を訪れました。

すると、その場にいた職員の皆さんに囲まれ、母に突然こう言われたのです。

「今日からあなたが社長代理です」

冗談だと思いました。

でも、手渡されたのは会社の通帳と実印。

一瞬で現実が押し寄せてきました。

その翌日から、母は病院に入り、抗がん剤治療が始まりました。写真は一時退院して一周年記念を迎えた時。

そして、1年半の闘病の末に――母は旅立ちました。あの夜のことを、私は一生忘れません。

母が亡くなったその夜。

さんだん花で働く職員全員が、母の枕元に集まってくれました。

そして、声をそろえてこう報告してくれたのです。

「今日、利用者さんが定員いっぱいになりました。前施設長の目標、ちゃんと叶いましたよ」

もう、涙が止まりませんでした。

母が命をかけて立ち上げたこの場所。

その思いを、ここにいる職員のみんなが、しっかりと受け継いでくれていた。

あの夜ほど、心の奥深くが震えるほど泣いた日はありません。

私が「さんだん花」を大切に思う理由

私は、介護の専門職でもなければ、経営のプロでもありませんでした。

何もわからないまま、社長代理を任され、ただ必死に走り続けてきました。

でも、どんなときも支えてくれたのは、母が残してくれた想いと、職員一人ひとりの存在です。

どんなに苦しい時も、どんなに迷った時も、背中を押してくれたのはこの「場所」でした。

気がつけば、あれから25年。

今、私は自信を持って言えます。

さんだん花は、“施設”ではありません。

ここは、人のぬくもりが生きている場所。

利用者さんも、ご家族も、職員も、地域の方々も――

みんなが安心して集まれる「大きな家族」のような存在です。

母が立ち上げ、皆で育ててきたこの場所が、これからも“あたたかさの真ん中”で在り続けられるように。

その想いを胸に、私は今日もここで、皆さんと共に歩んでいます。

※このブログは、私たち「さんだん花」が大切にしている原点のひとつです。

今後もブログを通して、日々の出来事や想いを発信してまいります。どうぞ温かく見守ってください。